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2007年5月

2007年4月29日東京新聞掲載『私たちの「美しい国へ」1』

 東京都新宿区のビル3階。広い近代的なオフィスで、ひとりノーネクタイの堀田正彦(59)がパソコンに向かう。フィリピン・ネグロス島を救援するNGO(非政府組織)から生まれた貿易会社「オルター・トレード・ジャパン(ATJ)」の社長だ。
 堀田は1989年、それまで「アグリビジネス」と呼ばれる多国籍企業が栽培技術や輸送ノウハウを独占していたバナナを、素人の手で初めてフィリピンから輸入するという“離れ業”を演じた。
 テスト輸入から17年を経た昨年は2000トン余りを輸入。インドネシアからのエビ輸入なども加わり、昨年の売上高は約17億円。社員は堀田1人から22人まで増えた。
「まあ、話は波瀾万丈なわけで」。落ち着いた語り口で来し方を振り返った。
 堀田とフィリピンとのかかわりは劇団「黒色テント(現黒テント)」の演出部に所属していた1979年にさかのぼる。インドで開かれたアジア演劇祭でフィリピンの劇団と知り合ったのをきっかけに、3年ほどフィリピンに通い、村々で演劇のつくり方を指導。日本ではマルコス独裁政権の人権侵害を告発する活動も続けた。
 そして85年、砂糖の国際価格暴落でネグロス島の砂糖産業が崩壊。45万人近いサトウキビ労働者が路頭に迷い、十数万人の子どもたちが餓死の危機に直面した。
 堀田ら市民グループやキリスト教団体、労働組合などが救援のため86年2月、「日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC)」を設立。その中でいや応なく突きつけられたのが、「構造的暴力」とも呼ばれるフィリピンの社会構造の矛盾だった。
 ネグロスでは人口の3.5%が耕地面積の65%を支配。しかも、その7割近くがサトウキビ畑だった。「サトウキビ産業というのは農業のように見えますけど、実は輸出物生産なんですね。農業労働者は半年は植え付け・刈り取りの低賃金作業があるが、後の半年は前借りで生きていかなければならない」
 価格暴落で逆ざやになるのを嫌った地主は生産を放棄。解雇された労働者は耕す土地もなく収入の道もない。たちまちネグロスは「飢餓の島」となった。「ニューヨークの商品取引相場など、自分たちとまったく関係のないところで生活を決定されてしまう」。堀田はこれを「つくられた飢餓と貧困」と呼ぶ。
 JCNCの募金活動には3年間で2億円近い寄付金が集まり、食料配給などに使われた。あるとき、堀田と語り合ったネグロスの民衆運動リーダーがつぶやいた。「きょう食べる魚をもらえるのはありがたいが、人々は魚を捕る網や釣りざおをもらって、自力で生きたいと願っている」
ちょうどそのころ、キャンペーンに参加していた九州の生協から「無農薬で安全なバナナが食べたい。ネグロスにバナナはないですか」という要望が寄せられた。「無農薬のバナナなら地場のものがある。じゃあ出荷しましょうという話が生まれた。極めて無謀な話なんです(笑)」

 日本のスーパーなどに並ぶバナナは、8割がフィリピンの大規模農園で単一栽培される。栽培から出荷まで、皮に傷がついたり病気にならないよう、効率的に運営される。そこで働くのはやはり、低賃金で雇われた労働者で、サトウキビ産業と構造は似ている。
 生協が目を付けたのは、山奥の開拓農民たちが斜面で育てる原生種の「バランゴンバナナ」だった。厚く小振りだが、日本人向きの味だった。
 「われわれがやったことはアグリビジネスの真反対だった。トラックも入らないようなところから運び出してくるわけで、バナナ産業を知っている人間なら、絶対にやらないことを最初からやっている(笑)」
 どうやったら傷みやすいバナナを腐らせずに日本まで運べるか。堀田らは港や船会社などで調査を繰り返した。89年、テスト出荷したバナナは日本に着くと真っ黒になっていた。
 「3回目にして軸は腐っているけど中身はしっかりしているものが届いた。山から刈り取って冷蔵保管まで36時間以内にやろうということで、飛行機でマニラまで運んだ。当時としては極めて高いバナナになった」
 地主や政府は一切介在しない、市民レベルの「産直提携」が生まれた。これを継続した事業にするために同年10月、4つの生協と市民団体が出資してATJが設立され、JCNC事務局長だった堀田が社長に推された。
 「足し算も引き算もできないのに……。逆に僕が演劇人だったがゆえに成立した話かもしれない」
 アグリビジネスの専売特許だったバナナ貿易を素人がやろうという荒唐無稽な話が持ち上がったとき、堀田の頭には一つのシナリオが浮かんだ。
 朝ぼらけの山の中で農民がバナナを刈り倒し、急峻な山道を担いで村に下りてくる。バナナは村人たちの手で洗われた後、箱詰めされる。「日本に運ばれたバナナがまた全国に散っていって生協のトラックで門口に着いて……。手に取った子どもが『わあ、バナナだ』と喜んで食べる。最初に輸入を考えたときのイメージは壮大な演劇だった。人がかかわりあって共同で作業するというのが演劇の本質ですから。ビジネスマンを連れて行ったら『傷だらけのバナナを誰が買うんですか。冗談ですよね』といわれるだけ。絶対(ビジネスでは)やるわけないです」
 4生協で売られるバランゴンの値段は市販バナナの約3倍にもなるが、無農薬栽培という安心と味のよさで母親たちから圧倒的な支持を得る。度重なる台風被害などハードルを乗り越えながら、ネグロス島には生産者組織もできた。開拓農民にとっては自立のための現金収入となる。
 発展途上国の生産者を守る公正な取引は「フェアトレード」と呼ばれ、日本にも300以上のフェアトレードショップがある。堀田らがバナナ輸入を始めた当時、「ヨーロッパ発」のフェアトレードは民芸品輸入が中心で、堀田らの活動は「日本発のフェアトレード」ともいえるものだった。
 ATJは小規模生産者が環境に負荷を与えずに作った農水産物を扱い、互恵関係を築く「民衆交易」という概念を掲げている。
 この二十年を振り返って、堀田はこうつぶやく。
 「ここにきて雇い主の都合で勝手に首を切られる労働条件が日本で生まれてきている。当時、ぼくらがネグロスで正義感に燃えて許せないと思ったことが、いま身の回りにある。これが一番ショッキングなこと」
 グローバリゼーション(世界規模化)、新自由主義が広がり、あらゆる面で格差が顕在化している。「持てる者が、あらゆる富、力を独占して、持たざる者はただ使い捨てにされるという構造が、フィリピンではスペイン植民地時代から続いている。その構造に日本がいま、追いついてしまったんじゃないか」
(東京新聞 中里宏)

 
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